離れて人はまた近づいて

離れて人はまた近づいて

椎名誠さんの私小説に「岳物語」がある。あどけない岳少年が、奔放に成長していくお話。その中に、「年月が経つに連れ、実は大人が子どもから離れていくのではなく、子どもの方から大人から遠ざかっていく」…といったようなエピソードがあった。そういえばそうだったな、僕もその時は首を縦に振って同意したいとともに、父親としての微かな寂しさに、過去の僕の言動はいかほどだったかと心を少し痛めることになった。
ここからは僕の持論だが、人は、特に男子は、ニキビ面の反抗期を終える頃、Greeenの曲を聞きながら、あるいはEXILEの曲を聞きながら、異常なまでに「人との出会いに感謝」したり「最高の出会い」を喜び合い、両親や祖父母にラフに「育ててくれてありがとう」を意識する時期が来る。それは大概毎年春に、あるいは四六時中、主に居酒屋のトイレで突然やってくるのだ。毛筆の「みつを風タッチ」にそそのかされ、思わず育ててくれた両親に思わずLINEをしてしまったり(手を洗ってからが望ましいが)、今まで一緒にいてくれた友人に背中を向けつつ改札を通り、肩を震わせた時期があったことを思い出すことになるのだ。
つまり、子どもは、親や近しいものからくっついては離れ、またいずれはさりげなく戻ってくると言いたかったのだが、ちなみに僕は27の今でも反抗期だと思っている。

確か11歳だったかと思うが、ある時から自分の写真は真顔のものばかり、つまり仏頂面をしていることに気づいた。写真を撮ることをきちんと意識しだした25歳の頃、2年前、過去のデジタルの写真を親のPCから取り込んでいた時の話。僕が11歳だった2000年前後はフイルムとデジタルとが混在する時期だが、PCに取り込むことのできたデジタルに写った僕の表情は見事に無表情だった。明確なまでに無。おそらく、恥ずかしさからか写真に写ることが嫌になり、ついでに撮ることも嫌いになったのだろう。
修学旅行やちょっとした旅で持たされた記憶はないだろうか、「写ルンです」。多分、こいつのせいだと信じている。27枚、ISO400。「写って は いルンです」が、それだけ。作品とは程遠い、しかし現代のスマホの写真よりもはるか昔の原始的体験。

当時、遠足には誰しもがそれを持って行った。だからカメラを向けることもあれば、向けられることも合った。あんなに自然体を取れるチャンスはないと、今でも後悔をするが、撮るのはともかく自分が撮影されるとき、どんな顔をしていいかわからなくなってしまうのだ。それでも、一生懸命子どもなりに考えたのだろう(子どもっぽい行為では決してないが)。ピースして、笑っておけばそれなりにはなるはずだ、しかし、足の位置は? カバンは? 姿勢は? 複数人の場合もっと楽しく演出した方がいいか? 自分実はひどい顔をしているんじゃないか? 目を瞑ってしまったらどうしよう? その結果がいま僕のLightroomの中に眠っているが、起こしてあげる必要はあえてないと思う。眠れる獅子。

もう1つあるとすれば、いつも27枚取りですら撮りきれなかったこと。27枚。2泊3日、例えば北関東から東京へ行ったとしても、京都でも大阪でも奈良でも。近所の遠足でも。遠足の写真って何を撮ったらいいのだろう、と当時考えていた記憶がある。観光名所の前に言ってピースはまず必要だ、ここは観光地だからとりあえず一枚風景を、あとは…? 複数の観光地に言って同じことをするわけだが、それでも27枚には満たない。クリエイティビティの欠如。
もちろん、それだけじゃいけないと慌てて自分なりに風景写真を撮ろうとしていたし、ピントの合ってない友人も撮っていた。でも「もったいない」気がして、もしくは「今がベストではないんじゃ」と思って大半はシャッターを切れなかった。そうして日が暮れて、残りの枚数を消費しなきゃと焦ってしまい、うす暗いぼんやりした写真か、帰りのバスやら電車でフラッシュを炊いて、人の鼻の穴ばかりがやたら強調された、ある意味、若さゆえのアート言わせるものだけが手元に残る。結果として、母親からいくつかの風景と、若さの幻像を見たのちに現像時の金額と、かすれ、乾いた気管を通る風の声を聞いた。

「せっかくなのに」、そう、母は重く続けた。

でも、僕は未だに、その「のに」の後に続くべき言葉がわからない。しかし、あれから16年も経った。経ってしまった。

その後、修学旅行等で両親から渡されるものが「写ルンです」から「コンパクトデジカメ」に変わった。今やガラケーにも、スマートフォンにも当たり前にインカメが付いている。カメラはいつも僕を向いている。仲のよい友人たちは連日のように、数十枚も楽しそうなセルフィーをせっせとネットに上げている。
そんな時代になったにもかかわらず、僕は相変わらず友人と一緒に写真を撮ることはなく、撮れば顔がいい具合に引きつっている。友人たちもそれをわかっているのか、僕と2人でいるとき、複数でいてもあまり「写真撮ろうぜ!」とはならない。寂しくないか、と言われるとそれは嘘になるのだが、いいのだ。むしろノリと顔が悪くてごめんよ、と言いたい*。

「この子は写真のセンスがないんです」

カメラ屋さんでいつも現像を頼むときも、そんなことを言われていた気がする。謙遜なのか、愚息と言いたいのか、でも僕にはその言葉はとても好きではなくて、おそらくその結果カメラに関わる全てのことが嫌になった。

ゆえに高校の卒業アルバムに僕の写真は、ほとんどない。大学に入ってもそうだ。大学デビュー仕立ての頃、数枚に自分が写っているくらいだと思う。そうして、就職活動をして、働いて、芸術的なものとは無縁に人生を送ると思っていた。写真とは、自分がそこにいた、自分がシャッターを押した日時の刻印された、ただの記録であったのだ。

その後、実はデジタル一眼レフ(NIKON D3100)を買ったりしたのだが、就職活動中に知り合った友人から、不思議な提案があった。グループワーク中の自己紹介から僕らがほぼ同郷で、旅行好きだというのを知りあうこととなった。一段落し、解散。その後お互いよくよく話してみると、彼はその時、車とカメラを買ったばかりのようで、こう僕に提案したのだった。

「一緒に旅行してみましょうよ。ついでに面白いことしません? 写ルンです持って行くとか」

それは実現にうつされ、なぜか旅に出てから、それも、田舎のど真ん中で「写ルンです」を買うことになり、古いほこりのかぶったそれを、1つ1200円で2つ買った。10年ぶりくらいの出会いだろうか。あとはもう封を破り、懐かしいフイルムの匂いを心ゆくまで堪能し、2人で撮影に没頭した。その時は新潟県村上市から山形県を横断して福島県福島市に抜けるドライブだった。ここでもやっぱり僕の「もったいない」は発動し、最終目的地の福島駅周辺で大量にシャッターを切ることになった。人間はやはり変わらない。

「そんなもんですよ、迷っちゃいますもん」

彼もそうだったらしい。2人して笑った。後日僕は東京に戻って現像し、別日に落ち合って居酒屋で見比べた。相変わらず下手だなー、などと言い合いながらも、しこたま飲んだ。賑やかな居酒屋で、ちょっと二人で声も張り合って写真談義なんかそっちのけで、旅の思い出を、次の旅の予定を考えながら。ジョッキ4ー5杯のあと席をたったとき、ふとさんざん母に言われた「せっかくなのに…」が遠くで聞こえた気がした。ふわふわするようで心地よく、「写真、やっぱそんな悪くなかったよな」だなんて自画自賛の半歩手前の気持ちでトイレのドアを思いっきり開けると、目の前に店長作と思われる毛筆の「感謝」と書かれたポスターが、でかでかと貼られていたのだった。スマホは圏外だった。


*先の記事「みどり」に紹介した黒エプロンの彼はその点自分の表情を知っていて、素敵だと思う。撮られ方、写り方を知っているのだ。というか、あの星ドル珈琲の方々はセルフィースキルとプレゼント作成・贈り物選ぶスキル及び顔のレベルが高いと認識している。そしてそれは僕らカスタマーの心にも確実に届いている。まぶしくて、時々辛くなるけど。