一人旅で一人でいることの考察

一人旅で一人でいることの考察

 

さすがに孤独だな、と思った。

ひとり旅に慣れていたところで、旅先の国で完全に一人ぼっちともなると、多少身構えることもある。いつどの方向から何が飛んでくるかわからない。僕にはそんなアドリブ能力は残念ながらない。無論、国を発つときは真逆のことを思っている。何か予想できないことが起こったら楽しいな、偶然の出会い万歳!  もしくは、一人で頭を冷やしにいくだとか、自分を見つけに行くとか、企画の素探しに行ってくるとか、一人になりに行っているわけで、ワガママ、自分勝手の極みである。加えていざ到着したら寂しいだなんて、どれだけ甘えん坊なのだろう。

ただ、一人を意識するのはどんな時か、考えたことはあるだろうか。

この国でも若者は群れている。特に男集団はそうだ。バルカン半島やトルコ、ロシアなどでは若者の革ジャン率が高いのだが、そんなイカツイ男どもが群れに群れ遠くからアジア系を見るなり声をかけてくる。

“Chino!(中国人!)”

ここには非常に複雑な問題がある。言葉を返したくても理性的に考えると反発できないのだ。まず、アジアの代表はもはや日本ではなく中国だ、ということ。そもそも僕が生まれた1989年からアジアを代表する国家としての日本があり得たかは知らないし、アルバニアは鎖国していたとはいえ、親中国であった。故に中国人とかつて同僚であった人や、共産主義時代の博物館(Bunkart)には、さまざまな漢字の書かれた地図、書物、武器が残っている。ユーゴスラビア、ソ連に背を向けたこの国は、原始的な、純粋な共産主義を求めて邁進する中国と手を組み、そして袂を別つ…。彼らにとって日本とは憧れを持つ遠い国であれ、今となってはその憧れすらも中国に奪われつつある。

次に、彼らに日本人だ!と反論することの意味について。正直こっちのが難しい。つまり、中国人じゃない、日本人だというときに、如何に感情を排して言えるかの問題に問われることになる。一般的に、ここに書くのは少々憚られるが、日本人だ!と伝えたとき好意的な反応が多いのだ。だから、我々日本人は「それを当たり前に」思う人も多く、日本人ならば好かれて当然と、勘違いをしてしまう人も幾人かいると聞いた。また、アルバニア人たちが、どのような感情を込めて我々に声かけをしているのか、その判断が非常に難しいのだ。中指を立てている場合は分かりやすいし、ただ逃げればいい。ここアルバニアでは恐怖を感じるときが多かった気がするし侮蔑的な言葉を言われたこともあったが、逆に好意的な目、興味を持たれているときもあり、発言一つで場の雰囲気が変わるときがある。基本的中立姿勢を示しつつも、

「日本って知ってるか?来たことはあるか?」

この一言が何よりも役に立つ。彼らの興味を沸かせる単語をいくつか言えばいいのだ。どんな単語を思いつくだろう?

そう、そうしてアジア系故に、望まずして人から話しかけられてしまうのだ。だからこそ中途半端に一人になれず、でも結局は一人になってしまい寂しくなる。ならば、もっと話したい、そう思うのは当然じゃないだろうか。あはれなあわれ。

雨の夜、目を見ながら唾を吐かれようと、英語でswear wordを言われようと、指さされて笑おうと、それは交流だ。成熟していない、と笑うのは簡単なのだ。日本人にも確実にそんな時代はあったはず。てか、今もか。

とはいえ、寂しくなってしまうと旅の中で停滞が起きてしまう。そうなってしまったとき、旅先の小さな出会いが非常に嬉しくも感じ、大きな支えとなる。いや、なった。出会いに感謝、、、笑

 

以下参考までに・・・。
Tirana(アルバニア首都)
http://katagiri-foto.grrr.jp/projekt/2017-albania/2017-albania-nr-1

Bunkart
http://www.bunkart.al/